縄文時代の再認識

画像日本人の直接の祖先は縄文時代にさかのぼる。縄文時代はおよそ1万年も継続した文化である。大陸から大規模な稲作などの文化が入った弥生時代はおよそ2500年前であるから、日本の歴史の80%を占める重要な時代である。このような長期間継続した文化は世界中に例がない。しかしながらこの時代を大事にする風潮は長らくなかった。

無視されてきた原因の大きな理由は、文化と文字を結び付けてしか考えられない時代が続いたからであろう。したがって、文字を持たない縄文時代は文化以前の時代と考えられてきた。しかしながら、日本全国で発掘される数多くの土器や土偶は、それらの形状や描かれたパターンを認識し解釈する学問の進歩と共に、文化の深さと精神性が明らかにされつつある(ブログ参照 縄文土器を見て思う井戸尻遺跡を訪ねて)。

無視されたもう一つの理由は、歴史が国家のために利用されたことにある。日本では大陸からの文字の伝搬により、権力者がそれを利用した。その典型が日本書紀であろう。天皇の正当性のために書かれたので、それ以外の古い伝承はほとんど記述されていない。さらに明治以降では、国家神道を重視したために、ますますその傾向は強まった。このような流れは最近まで続き、一時は教科書から縄文時代が消えたこともある(ブログ参照 教科書に「縄文時代が復活」)。

文字の発明は、古代中近東、古代中国など世界の歴史を見ると、権力者や支配階級の誕生と関わるようだ。農業生産が始まり生産が飛躍的に増加することで、社会構造が変化して、権力者や支配階級がでてくる。権力者は、自分たちの正当性を示すための神話、あるいは農作物の記録や占いなどに文字を利用した。権力者のいない縄文時代では文字の必要がなかったとも言えよう。

縄文時代の研究が進むにしたがい、当時の様子が少しずつではあるが明らかになってきた。農業以前の狩猟採取生活と思われていたが、一か所に定住していたことから食糧を十分に確保できたのであろう。「三内丸山遺跡」は少なくも1500年は継続している。山の幸、海と川からの魚介類など、様々な食料を得ており、それらを加工、保存することで長期の文明を築き得たのだ。文字としての記録はないが、土器、漆器、土偶、お墓、建造物の跡などを調べることで、当時の社会や背景にある思想も類推できる。特筆に値することは、墓の配置から平等な社会であったこと、武器がないことから大きな争いもなかったことが言えるとのことだ。
当時の自然環境は、火山活動が活発であったこと、大雨、台風、地震も多かったなどから、現在以上に自然災害に悩まされたであろう。そのような過酷な自然環境で長期間生活したことから、自然に対する感覚が形成されてきたのであろう。自然の災害には耐えて、またゼロからの生活を始める。良い天候に対しては感謝する、季節の到来を予測して準備するなど、自然と一緒の生活を作りあげてきた。

東日本大震災が世界に報道されたとき、被災者がパニックにならずにいることに対して、驚きの声が上がった。これは、突然の地震、津波により、被災者は悲しみのどん底に突き落とされても、それを何とか受け入れようとする懸命の姿からの印象であろう。このような自然災害に対しての態度は、縄文時代に培われたものではないだろうか。日常生活の中では忘れ去られているようでも、心の深層から湧き上がって来たのだろう。

都会の生活においては自然を身近に感じることが少ない。加工食品が中心となると、自然の恵みを直接に味わう機会も少ない。しかしながら、加工されていてもすべての食べ物は元来自然の恵みなので、そのことをよく理解する必要があろう。私たちが「生きていること」が自然の恵みなのだ。

最近の巨大台風は温暖化の影響とも言われている。詳しいことは分からないが、炭酸ガスの増加は増えており、地球環境が変化しつつあるのは確かである。私たちが自分の健康を気づかうのと同じように、地球環境についても心を配る気持ちを持ちたい。縄文という特別な歴史を持つ私たちだからこそ、このような自然との関係を理解して、世界に発信できるのではないだろうか。

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